話題になっているさいたま市浦和にある銭湯「鹿島湯」。
どのような人が店主なのか気になるところ。
今回は、「鹿島湯」3代目店主の坂下三浩さんの経歴などについて調べてみました。
坂下三浩は幼少期、銭湯が大嫌いだった
鹿島湯は1956年、大工だった坂下三浩さんの祖父が建てたそうです。
今でこそ鹿島湯への愛が強い坂下三浩さんですが、実は幼少期は友人から「風呂屋!」とからかわれ、銭湯が大嫌いだったそうです。
そのため、「絶対に継ぐもんか」と思っていたそうです。
たしかに銭湯の良さは子どもには分からないかもしれませんが、からかわれると嫌になってしまいますよね。
坂下三浩は電力会社で働きながら大学に通学
鹿島湯の跡を継ぐ気がなかった坂下三浩さん。
お金がなかったことから、拓殖大学の夜間コースに通い、昼は東京電力で働いていたそうです。
働きながら学校に通うのは時間的にも体力的にも大変ですよね。
とても努力家なのが伝わってきますね!
坂下三浩の前職は国会議員秘書
なんと坂下三浩さんの前職は国会議員秘書だそうです。
どなたの秘書だったかは分かりませんが、すごい経歴の持ち主ですよね!
国会議員秘書の仕事内容について調べてみると、
社内外の人との連絡、応対、文書作成、資料・情報の収集と整理、スケジュール調整など。
また、会議やパーティーの準備、来客の接待、経理的な事務など、幅広い業務。
とありました。
頭の良さだけでなく、マナーや気配りも求められる大変な仕事ですよね。
そして、いつか議員になることを夢見ていたそうですよ!
ではなぜ、議員を夢見ていた坂下三浩さんが、鹿島湯を継ぐことになったのでしょうか?
坂下三浩は45歳で鹿島湯3代目店主になる
坂下三浩さんは、45歳で鹿島湯の3代目店主になりました。
鹿島湯を継ぐきっかけはなんだったのでしょうか?
東日本大震災で銭湯への意識が変化
坂下三浩さんの銭湯への意識が変わったのが、2011年に起こった東日本大震災だったそうです。
当時、議員秘書として働いていた坂下三浩さんは南相馬市でのボランティア活動がきっかけで気持ちに変化があったそうです。
坂下三浩さんは当時のことを以下のように話しています。
避難所には当然浴場がないので何日もの間お風呂に入れないんですが、震災から一か月ほど経ったとき、自衛隊の方が仮設浴場をつくってくれて。
大勢の被災者が、「落ち着く」と涙を流しながら風呂に入っていたんです。
これまで考えたこともなかった、銭湯の存在意義を見つけた気がしました。
幼少期にからかわれ銭湯が嫌いだった坂下三浩さんの心を動かす大きな出来事だったのでしょう。
父が入院し常連さんに言われた言葉
東日本大震災後もボランティア活動を続けていた坂下三浩さんですが、父親が病で倒れてしまったのを機に、鹿島湯を手伝い始めたそうです。
その時は継ぐつもりはなくて、父親が復帰できないなら廃業するつもりだったそうです。
しかし、たまたま店に来た常連さんから「みっちゃん、店を無くさないで」と必死にお願いされ、考えが一変したそうです。
家にお風呂あるんだし銭湯がなくなっても別に困らないだろうと思っていた坂下三浩さんでしたが、
銭湯にきて友達と会ったり、広いお風呂に浸かったりするのは大切な習慣なんだよ
と言われ、「ここでも自分にできることがあるかもしれない」と気付いたそうです。
国会議員秘書に比べると収入が不安定になるため悩んだそうですが、手伝いをするうちに銭湯に愛おしさが生まれていったそうです。
そして本腰を入れて、鹿島湯の経営に乗り出したそうです。
国会議員秘書を退職し議員の夢を捨てるというのは相当の覚悟だったと思います。
ですが、それほどまでに銭湯の魅力や常連さんへの想いがあったのでしょうね。
素敵な話ですね!
坂下三浩は結婚してる?子どもはいる?
坂下三浩さんは結婚していて、なんと7人の子どもがいるそうです!
残念ながら奥さんや子どもの詳細は公表されていませんが、7人ってすごいですよね!
そんな坂下三浩さんは、子育てでもママ友や周囲にとても助けられたことが大きな支えになったそうで、以下のように話しています。
人はつながりなくして生きてはいけないですよ。
銭湯から人情味をとったら何も残らないくらい。
銭湯ってそういう場所でいいと思うんです。
自身の子育ての経験も鹿島湯に繋がっているなんて素敵ですね!
まとめ
今回は、「鹿島湯」3代目店主の坂下三浩さんの経歴などについて調べてみました。
最後までお読みいただき、ありがとうごさいました!
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